常識

心理学

今日金曜日

この日記を勤め先で公開しようと考えていた。

同僚用にサイトは専用で作った。準備はできた。

だがやめた。

ーー

おととい水曜日

「依頼された仕事を中々してくれないよね?いろんなひとから言われてるよ」

と言われた。

これには驚いた。すべての案件を締切には必ず仕上げた。土日深夜関係ない。

今日やると言って今日終わらせるし、明日といって明日終わらせる。

絶対に時間は守る。

学生時代から、壇上にたって「時間は絶対に守れ」

言い訳も都合も関係ない。なにがなんでも時間を守れと。

周りに嫌われるまで言っていたタイプだ。

社内の言い分はこうだ。

「1週間後の納期に対して途中に反応がほしい。」

という感じ。

ーー

これは新常識だった。歴代のパートナーに言われ続けていたことを社内でも言われることになるとは。

ーー

なぜこうなるか考えた。

自分は時間を守る。

そのほとんどは外部折衝によるものだ。だから途中干渉など基本ない。

納期に仕上がればだれもが満足する。

そのクオリティも絶対だ。

だが、どうだ。

「同僚やパートナー」といった身内と言える存在になると人は甘えだす。

外部には気を使うが、内部に人は中々気を使わない。

「察してよ」となる。

これを私は察しない。これが諸悪の根源だ。

「察する」これが改善策の一つ。

ーー

この出来事により日記の公開を準備した。

話してみたらいい人だった。飲み会で打ち解けた。なんていうありきたりな話に通ずるものだ。

有名人や社長でない限り、本をだしたりはしない。その本があればその人の理解ができる。

日記を公開すれば、どんな人間か知ってもらえると考えた。

そこに、金融的、経済的にお得な情報を折り込めば、同僚たちの職場への不満の解消にも繋がり、みんなハッピーになれると考えた。

ーー

しかし、昨日。

ーー

木曜日

わたしは突然責められた。

前日に起きたトラブルを解消したら、

「なぜそこまでの情報を知っているのか?」

「社内のすべての情報を見ているのですか?」

去年入ってきた人に総務に越権行為だと詰められた。

「なんだ」と思った。

言い分はこうだ。

「個人情報はみられたくない。会社の機密だ。」

、、、

なにを言っているのかわからなかったが、わたしはすべてのサーバー情報を管理してほしいと社長から頼まれているからみていただけだ。

頼まれていることをやっていて責められてしまい、さすがに富士山が活火山になるとこだったが、抑えた。

ーー

この日記でも再三合理的に物事を語っているつもりだ。

人間は集団生活社会に適応するように育てられている。それを打ち破らなければ自由はない。

そのためには感情を消す必要がある。

ーー

噴火しそうになりながら気づいた。

「同僚は感情でものごとを語っている。」

サーバーの管理者がすべてをみれなくて、問題が起きたらどうなるか?

そんなことは一般社会人には関係ない。

マイナンバーカードは個人情報が危ないと訳のわからないことを言っている人種なんだと気づいた。

ーー

今世紀。

守られる個人情報などない。アイフォン、アマゾン、グーグル、ビザカード、ドコモ、すべての情報企業が個人情報を自由にでき、SNSで個人の住所も趣味嗜好も得られている。それは目に見えない。だから批判はしない。便利だから使う。

アマゾンのデータさえあれば、訪問時間住所からみて不在時に訪問することなど容易。

都内はすべて防犯カメラにより行動パターンがとられ、スイカの情報でだれかを特定することなど容易。

今世紀。個人情報はすでにみんなの共有物なのだ。法律など関係ない。

しかし、目の前にいる人間が持っているとなるとなんとなく正当化したくなる。わたしは便利なサービスではないし、「止められる」と考えられている。

人は文句が言いたいんだ。

最近はファミレスの配膳がロボットになりクレームが減ったらしい。

そう。人は人に対してなにか言いたい。

ロボットだとわかれば、諦める。

ロボットを介してまで言う必要のあるクレームなど元来なかった。

言えばなんとかなる、という期待。

大阪人がとりあえず値切る心理。

クレームは人間のエゴ。

ーー

理屈などどうでもいい。

判断基準などなんとなく。

100年にも満たない自分が知っている学んできた範囲内での常識。

石油を燃やしながら走る電気自動車や飛行機には乗るくせに、原油の廃棄物から作るレジ袋や、森林保全の余り物から作る割り箸を否定する環境活動家と同じなのだ。

森はめんどくさいから行かないし学ぼうともしないが、目の前にある枝葉をみて物事をかたる。

正論ではない。感情だ。

この日記は感情ではなく合理化を述べている。

「稼げない会社は潰れるべき。」

世間はそうは思わない。

ーー

これに気づき、その場では自分を正当化することはやめた。

年配者の顔をたて、ニコニコしながら教えを請うた。

ここは我をだす場面ではない。

なぜなら、わたしに金銭的自由はない。

資本主義的成功はしていない。

この会社に今はいなくてはならない。

転職、起業の選択肢は幸いにも多いが、いまの会社はあらゆる面で優れている。

今は正論を述べるのではなく、世間と仲良くすることが今のわたしにできる合理化だ。

ーー

普通などない。

起業家からすれば会社員などありえない。

しかし、保守派からすれば会社員は最善だ。

ノーリスク。

ーー

会社員は借金などしない。

将来の収入期待値は見えている。

意味がない。

起業家はリスクをとる。

借金により未来が広がる。

ーー

考え方は人それぞれだ。

それでいいんだ。

一生を共にすると誓ったとしても、わかりあえずに契約を破棄する。

そんなもんだ。

「わたしの考えを共有したい」という思いもエゴだ

インタビューや本が売れるのは成功する方法が知りたいからだ。

どんな人間か知りたいわけじゃない。

共感したいわけじゃない。

ーー

起業家マインドと会社員マインドは相容れない。

わたしの考えを公表することは押し付けにしかならない。

ここはリクルートやサイバーエージェントではない。

まわりは全員保守派だ。

さらに私はわかりやすい成功者ではない。

説得力がまだない。

公開をする時。それは会社への依存がなくなった時。

一人立ちができるとき。

それまでは影に潜み、水面下で動く。

同僚のおかげで大人になれた気がした。

ーー

常識などこの世にはない。

柔軟に生きていこう。

ーー

こんなメッセージをもまだ早い。

まだ口にするに値しない。

わたしは察した。彼らの常識には触れずにいることが最善であると。

革命家はいつだって望まれない。

ーー

「ダイキさんって先の先のことばかり見てるから、何考えてるかわからないから考えるだけ無駄。」

と2020年に言われたことを思い出す。

ーー

ふさわしくなる。

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