批判

社会

批判など気にしてはいけない。

自分の意志で突っ走るべきだ。

ヤフーニュースをたまにのぞくと「〜に賛否両論」などのタイトル記事が散見される。

反対意見がでたらそれは「悪」なのか?

こと、最近は性別の問題でもなにか反対意見がでるとすぐに企業が広告を取り下げたりする。

批判される適性が弱くなっている。忍耐力がゼロになっている。

批判とはされるべきものだ。

批判により改善点が見えるのだ。

貴重な意見には耳を傾ける。

しかし、人間には80億人それぞれに立場があるため、それぞれの意見がでてくる。そんな雑音に対応していてはなにも進まない。

新幹線は多くの人間に認められ利用されている。

しかし、沿線に住んでる人には騒音でしかない。引っ越しをよぎなくされた。

江戸時代から続いた東海道の宿場町はすべて廃業に追い込まれた。

新幹線のせいだ。

車と電車により、1家に1馬いた時代から馬の飼育員は職を失った。

だが、つねに多数派が少数派をねじ伏せてきたのだ。

それが社会だ。

AIに仕事が奪われると騒いでないで、AIができないことをしろ。

でなければ滅びろ。存在が迷惑だ。

現代ではSNSにより80億人すべてが意見するようになった。もちろんいい側面もあるが、悪い側面もある。とにかく粗を探し叩くことが増えたのだ。

批判というのにも3種類がある。

・欠けている点を補填する改善に繋がる「意味ある批判」

『この電池には氷点下の環境では欠陥がうまれる。使用を中止するべきだ。』

・マイノリティだが、それを正義としようとする「めんどくさい批判」

『スラムダンク男しか活躍しないじゃん。こんなもの見る価値ない。』

・そして暇だし、変わるのもめんどくさい、みんな叩いてるからとりあえず一緒に「なんとなくする批判」

『ロシア人は全員立ち去れ。』

これらで傾聴するべきなのは「意味ある批判」のみ。

あとは放っておけばいい。

だが、とくに心が優しい人などはこれができない。すべてを受け入れようとする。その批判をすべて解消しようとする。そんな必要はない。放っておけ。

80億人の中の1%、0.1%にすかれるだけでもいいのだ。

それだけで800万人だ。

全員に好かれようとするな。

夫婦2人ですら価値観が合わないのだから、他人の無意味な言葉に耳など傾ける必要はない。すべて賛否両論だ。賛否両論という言葉には、自分には決断力がないことが表されている。逃げの言葉。使わない方が身のためだ。 

意味のない批判はだれがするか?暇人だ。

目標を持っている人は自分のことで忙しい。

目標がない人はやることがないから、他人のあら探しをする。暇なんだ。

暇人に耳を傾ける必要などない。

同じ人間だと思うな。ゴミだ。


自分の意志で突っ走ろう。

やりたいことをやろう。

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