中1でアルファベットをかけるようになった。
いまになり英語を話すようになってから思うこと。
英語の方が楽だ。
日本語がダメ。日本がダメ。と言ってるわけではない。
初対面から尊敬語だの謙譲語だの、1歳の年の差、同期か先輩か後輩か、そういったことを一切きにしなくていい。(これらがダメと言ってるわけでもない。)
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楽すぎる。英語なら店員とも友達になれる。店員も尊敬語もなにもないからいつでも対等。店員としてではなく、どの店員も友達のようにはなしてくれる。
初対面から気楽。
日本でいきなり適当に喋ったら第一印象が悪くなる。だからできない。そのリスクはわかってる。タメ口キャラ作りのハーフ芸能人は別。
芸人やスポーツ選手が、「実は先輩」とわかった瞬間に切り替えたり、スマイルゼロ円のレジ打ち店員が突然後輩にタメ口で話してる。その切替がめんどくさい。
厳密には英語にも尊敬語はある。通訳や司会を公の場で務めた時は気にしてた。
でも日常生活には不要。
だから、英語ならだれとでも友達になれる。
日本語のときは赤ちゃん以外には尊敬語で話す。
職場でも。新人にも。切り替えが面倒。
アメリカ人、イギリス人、フランス人。どうやって付き合うの?出会うの?と言われてはぐらかし的だが。狙ってるだけだ。自分でそう行動してるだけ。日本人と話すより楽なんだ。
尊敬語?謙譲語?尊敬も謙譲もしていない。
金銭が発生しているから仕方なく話してるだけだ。ロボットにしか見えない。
隠しているだけ。横にいる後輩に怒鳴るのだから人間性は見え見えだ。
たとえ尊敬していたとしてもそれを考慮するより英語が楽なのは間違いない。
(日本語がダメとはいっていない。繰り返す。)
だから誰かと話す時も日本語だと壁が最初から2つ余計にある。
1つ、尊敬語
2つ、尊敬語の会話からため口に切り替えるタイミングもしくはその打診をするかしないか、したら壊れる関係かの懸念。
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だから、英語が好きなんだな。
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英語が強制された歴史は下記の通り
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